中西元全ト協会長逝く

中西英一郎元全ト協会長が死去した。昭和3年(1928年)生まれの89歳だった。

中西氏は、2005年から2011年までの6年間、全日本トラック協会会長を務めた。就任時は、高橋喬郎元会長急逝の直後だったこともあり、会見で「『戦死』はしたくないので、無理はしない」と語っていたのが印象的だ。

中西会長と聞いて思い起こすのが、まず軽油高騰対策だ。高値に苦しむ業界に、リーダーとして危機突破を促した。2008年8月には、消費税抜き全国平均ローリー価格が143円台を突破し、ピークに。全ト協は「軽油価格高騰・経営危機突破緊急キャンペーン」を設定して業界あげて全国的な行動を展開し、業界初となる「燃料価格高騰による経営危機突破全国一斉行動」を実施した。

多くのトラック運送事業者が事業経営の窮状を訴え、全国各地で総決起大会や街頭行進、トラックパレード、要望活動などが行われた。一斉行動に参加した事業者は、延べ約2万人にのぼった。

温和な性格で、常にニコニコしていたことは印象深いが、理不尽な意見には声を荒げることも。08年6月の決算総会の席上、「全ト協は、会員のことを真剣に考えるべきだ」と辛辣な協会批判があり、これに対しては「会員のことを真剣に考えていないと言われるのは心外だ」と強く反論する一幕もあった。

09年には、政権交代も起きた。業界のトップとして、トラック議連の発足などに奔走した。民主党政権は、暫定税率の廃止や高速道路無料化などを公約に掲げたが、迷走の結果、いずれも実現できずに終わった。

10年の事業仕分けでは、全ト協が出捐金で行う交付金事業が取り上げられ、「建て付け」の悪さが指摘された。これを受けるかたちで、交付金制度はその後法制化され、努力義務とはいえ、法律で各都道府県に交付を求めることになった。

11年の東日本大震災でも、発災直後から陣頭指揮に当たった。トラックによる被災地向けの緊急輸送は過去最大規模となり、出動したトラックは延べ1万台を超えた。トラック輸送が「ライフライン」として支援物資輸送の基幹的な役割を果たした。

全ト協会長退任後も、協同組合による鉄道利用運送である日本FL物流協会の会長を務めていた。

誠実な風貌と、訥々とした語り口、いつもニコニコとしたあの笑顔が忘れられない。合掌。