交通共済は不可欠な存在

トラック交通共済が堅調に推移している。

全国トラック交通共済協同組合連合会(交協連)の集計によると、対人共済の契約車両数はこの7年間増加を続けて31万台に達し、これに伴う共済掛金収入は6年連続で増加し400億円に迫ろうとしている。

トラック交通共済は、全国15の単協で構成されるが、その一つ一つの組合が地道な営業努力を重ねてきた結果だ。

一方で15単協は交通事故防止にも積極的に取り組み、車両100両当たりの事故発生件数は、対人、対物、車両事故ともに2015年度は過去最少を記録した。

この結果、2015年度の税引後利益として合計18億円を計上し、うち12億円余を配当金として還元。民間企業でいうところの「配当性向」は68%という高い水準となっている。

トラック交通共済の歴史は、1970年(昭和45年)まで遡る。高度経済成長に合わせて1965年頃から賠償額の高額化が進み、場合によっては事故賠償により倒産することも憂慮されたため、損害保険業界の上乗せされた対人賠償保険に頼らざるを得ない状況だった。

一方、交通事故死者数が急増し、「交通戦争」と呼ばれるなかで、ダンプカーが「走る凶器」として社会から指弾され、その矛先はダンプカーだけでなくトラック全般に向けられた。このため、損保会社から割増料金を請求されたり、極端な例では契約拒否されることもあったという。

時あたかも大阪万博が開催され、多くの外国人が来阪するなかで、トラック運送業界は万が一の事態に備え、1970年3月に「万国博外国人交通事故賠償共済会」を発足させて対処したところ、万博中は1件の事故もなく、掛金全額に利息まで添えて会員に還付するという成果をあげた。これがトラック交通共済の始まりである。

同年8月には大阪府交通共済協同組合が設立され、その後行政の支援もあって全国各地にトラック交通共済協同組合が設立されていった。1972年には、再共済事業を行う交協連が設立された。

民間損保が営利を目的としているのに対し、交通共済は相互扶助を目的としているため、掛金が割安となる。また、安全運転講習会やドラレコなど事故防止機器導入助成など、事故防止活動を積極的に行っている点も特徴だ。さらに、利益が出た場合には、配当金のかたちで還元されることも損保にはないメリットだ。

トラック交通共済は今や、厳しいトラック事業経営を側面から支えており、業界にとって不可欠な存在となっている。